トーキョー思い出ツアー・その2
前回の続きです。今回もスーパープライべートな記事です。金欠解決のために上京、中野にてカメラを売却。その後、過去に暮らしていた都内の思い出の場所を辿ったツアー、2回目です。うれしはずかし私の東京時代の過去が暴かれる・・・、って女性関係ばかりか?老後に思い出せるように記録してるだけですから!
桜上水を泣きながら後にし、京王線に乗り込み次に向かったのは調布です。府中と稲田堤に住んでいた時、頻繁に通った街。
ここはあまり変わってないなあ・・。京王線の主要駅では、今ひとつ開発が進んでいません。駅舎もそのままだし。もっとも、このパルコが出来た時にかなり変わったのですが。私が社会人になってまもなくの時かな?これ出来たのは。ここの裏手に渋い商店街がありましたが、今はどうなっていますか。
パルコの内部はかなり変わっていましたが、はじめて一眼レフカメラを買ったカメラ屋はそのままありました。
さっと見ただけで出てしまった。これが出来た時は、パルコはお洒落の先端を行っていたのに、調布パルコは地下食品売り場があって大根売ってるパルコ、庶民的な感じでした。2階にイタリアンの店があって、友人S山さんとそこに一緒に行って、雑誌HANAKOが紹介する以前にティラミスを食べたのが自慢(笑)。上の階のレストランで、すっごく片思いの大好きな人と一緒に食事したのが一番良い思いでですな・・。ワインのボトルなんか頼んで頑張ったのにな、押しても引いてもだめで、お付き合いしてくれませんでした。ぐすん・・。
調布は・・・、彼女Dさんとの思い出が。会社員時代後期にお付き合いしていた彼女Dさんは、この街に住んでいて、もう私はこのとき西浦和に引っ越していました。週末に車でここまで来たり、会社帰りに彼女のアパートに泊まったりしてました、まあエッチ・・。
彼女Dさんは、派遣の仕事をしていましたが、あまり長続きせずにすぐ職場が嫌になってしまう・・。この線路沿いの細い道を私が泊まった翌朝は二人でよく歩いて駅まで行きました。二人同じ新宿で働いていたので、通勤電車に向かう道。彼女は会社に行きたくないので憂鬱な気分になっていて、あまり言葉少なく歩いたなあ。
あの時の彼女のアパート、まだあるかなあ・・。ちょっとストーカー気分で調査。周囲に家が増えていて迷ってしまいましたが、見つかりました。
ああ、ここここ。
入る道が変わっていましたが、それ以外はあの時と変わらないままです。
その後、二人で京王稲田堤に引っ越して一緒に暮らしましたが、そこが東京周辺生活の終わりの場所でした・・。その時も週末は調布に来ていました。
すっかり涙ぐんで、調布の駅に戻ります。ここで乗る電車を選べばその稲田堤にいけますが、やっぱり楽しい思い出がたくさんの府中に向かうことにします。
東府中駅下車。府中駅とこの東府中の中間位置にアパートがあったのでどちらもよく利用しました。ここには、あのドンキホーテの最初の店1号店があります。今はこんなビルですが、甲州街道沿いにこの店が出来た時行ってみて、なんか平屋の小屋みたいで、中は倉庫みたいでした。ドライバーセットを買いに行ったのですが、おもちゃみたいな安いのしかなくて、コリャダメだと思ったのでした。まさかこんなに大規模なチェーン店になるなんて、その時は思いませんでしたが。
甲州街道沿いの歩道をしばらく行くと・・。
この角を曲がって、そうそう、ああ、ありました!大学3年から社会人3年目まで私が住んでいたアパートを発見。
このアパートで知り合ってお付き合いした彼女Cさんが出勤してこの道を行くのをアパートから眺めて、それから自分も出勤していました。
う~ん、周りの畑が全く変わりませんよ・・。もう20年もたってしまったのに。
ただ、隣に家が建ってしまって、私が住んでいた102号室が見えなくなってしまっている・・。
当時にしては、結構お洒落な作りのアパートですな。東向きですが、手前の家があの頃は無くて駐車場でしたから、午前中は日当たりが良かった。1階の2番目の部屋です。家賃5万4千円。バストイレ・エアコンつきのリッチな生活。学生の時は家賃が厳しかった・・。
ここで、桜上水から引っ越してきた時に手伝ってくれた彼女Bさんとの楽しい思い出が沢山出来ました。週末は一緒にいて、あんなことやらこんなことやらで、青春していたなあ・・。この頃のことは今もはっきりと思い出せるのです。楽しいことが沢山あり過ぎて書ききれないし、たぶんずっと、死ぬまで忘れないでしょうから書きません。私の宝物です。
社会人1年目の正月に彼女Bさんとはお別れ。とても悲しかったス・・。
しばらく一人身でいましたが、仲の良かった105号室のOLさんが引っ越して、そのお友達の女性が引っ越してきて、お付き合いしてしまった。その彼女Cさんとは、それより以前にそのOLさんの紹介でユーミンのコンサートに一緒に行ったり、かなり気になっていたので、引っ越してきた時はラッキーでした。けど、なかなかきっかけがつかめなくって。
ある休日の夕方。彼女Cさんのお部屋(突き当たり)からカレーのいい香りが・・。ああ、Cさんの作ったカレーが食べてみたい!と、いてもたってもいられなくなった私は、近所のほか弁に行ってライスだけ買ってきました。それを持って彼女の部屋のドアを叩き、あの~すみません、これにお作りになったカレーをかけてもらえないでしょうか・・・?とやったのです(笑)。今の時代なら一発で警察を呼ばれたでしょうが、17年前の世の中は今よりおおらかでした・・。Cさんはにっこり笑って、どうぞ、と私を部屋の中に入れてくれました。そして、お皿に炊き立てのご飯にカレーをかけてご馳走してくれました。今も忘れないシーフードカレー。それがきっかけで、Cさんは洗濯機を持っていなかったので私の、この手前から2番目の位置の洗濯機を一緒に使うようになって、部屋を行き来するようになってお付き合いが始まりました。なんか漫画みたいな話し。しかし、現在のここ汚いな。野郎ばかり住んでいるのか、もっと綺麗に住んでくれよ~。
で、その後、車が買いたくなって、駐車場が安そうな西浦和に引っ越しました。すぐにあの、忌まわしい温泉卵事件が起こり、彼女Cさんとは、お別れしました。ぐすん。
号泣しながらアパートを後にし、府中駅に向かいます。
この道も思い出深いなあ・・。府中駅に行く道。
大学の帰り、バイトの帰り、会社の帰り、一人で歩いた記憶はアパートへの帰り道。府中駅へ向かう思い出は、彼女と歩いた記憶です。
かなり賑やかだなあ。 甲州街道を渡ると府中の商店街に入ります。よく行った喫茶店は違う店になっています。この辺りはまだそんなに変わらない。
けど、背後の高層マンションはなんなんだ・・。いつの間に・・。
高架になっている。昔は踏切があったのに。
さくら食品館は、よく行ったなあ。スーパーが近所に無かったのでここで食品を買っていました。3階に酒屋があって、バブルの頃はたまに高価なワインを買っていたっけ。
それが・・・。全く変わっていた。中はパチスロ店。食品は全く売っていないようです。中に入るのをやめてしまいました。彼女と買物に行った思いでもパチスロ・・。街は変わる。皆昔のことなんですよねえ・・。
けど、変わらない場所もあるはずです。
よく行っていた中華屋チェーン店の東秀。
京王線沿線によくある店。最初はバイト先の八幡山店に行っていました。そこは他に無いシューマイ定食があった。それから下高井戸店に行き、最後は府中店に落ち着きました。駅のロータリーの反対側の地下にあります。
ラーメンギョーザチャーハンセット、なんてのを最初に食べたのがここ。いつもカウンターで一人。たまに友人と行きました。大阪の友は王将の方が旨いと言っていましたが。
ここで一番良く頼んだのがこれ。
ホイコール定食598円。当時はもう少し安かったかな。回鍋肉のことね。ここで開眼した味です。普通のよりちょい甘めかな?当時はホイ定ね!とかオーダーしてました・・。
今も回鍋肉は大好きですからね。
うん、今の私なら生ビールも同時注文ですな。あの頃は、今に比べたら全然お酒飲んでませんでした。家に酒無かったもの。家でビール飲まない。イベントがあるときワイン買ったくらい。なーんとなく、会社帰りに缶ビール買うようになって、からだなあ。居酒屋もあまり好きじゃなかったし、何でかなあ?どうして今はこんなにお酒飲むんだろう?
府中の駅の向こう側がどんなに変わってしまったか、見たかったけどタイムオーバー。もう歩けないくらい歩いたので、18時新宿始発の特急に乗りたかったので帰ります。京王線で帰る途中、飛田給からJリーグ観戦の客が大量に乗って来て、大混雑のラッシュに!ああああ!これだよ、これで、もう、東京嫌になったんだよ。わたしは、混んでいる電車に乗っていられないんだよオおおおお!だから田舎に帰ったんだよオ!ううう、ゲロロ、ホイコーローが、で、で出ちゃう。もう無理。東京なんて、住めないよおおお!
ちょっと贅沢ですが、新特急あかぎに乗りました。快速と到着時間は変わりませんが、もう疲れたので、確実に座ります。
いつもこの電車空いていますね・・。デジカメで撮った画像を見ながら、思い出を反すうして、帰宅しました。
何度も、涙が、頬を濡らしました。
あの頃は、いろいろあったけど、今思えば、楽しかったなあ・・。けどな、これから帰る田舎で、ずっと生きていくんだ。今を楽しく生きようぜ・・。ガラス窓に写る自分に、そう語り掛けました。到着した高崎駅は、下高井戸駅より人が少なかったですけどね・・。
では、また。
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