村上春樹さん、ノーベル文学賞受賞の噂がありましたが、惜しかったですね。候補といわれるほど海外での人気は凄いものがあるそうです。日本人作家のなかでは。
私も会社員の頃に結構読んでおりました。通勤の満員電車がほんと嫌いで、何とか気を紛らわす為に、文庫本をぎゅうぎゅう詰の車内で顔ギリギリに近づけて。それで93年頃までの作品は殆ど読みました。ですから読んだのは文庫本のみです。
村上春樹の小説は人によってかなり好き嫌いがあるようですね。特に小説好き、文学好き本好きの人からの評価は著しく低い気がします。戦前戦後の純文学好きな人には小説じゃないくらいの言われようで、ミステリー好きな人は読む気も起こらないらしいですが。私はあの村上ワールド結構好きで、なんか主人公の斜めに構えたような生き方もしてみたいのです。
ノーベル賞騒ぎで、読者層が拡がるといいですね。海外では、従来の日本人作家の持つ日本文化じゃなくて、クールな視点と言うか、現代の閉塞感うんぬん、なんかわからんがウけてるらしいです。ま、村上さん本人はあまり感じず坦々としてるんじゃないでしょうか、もともとメジャーな賞にあまり縁が無い人ですし。
内容的には似たり寄ったりで、社会に斜めに構えた「僕」が、陰と妄想癖のある美人(カタカナ名)と出会って、不思議な関係を持ちつつ、妙に理解を示された僕が何かに気が付き納得し、次の人生に向かう、みたいな・・。
本棚にこんな感じでありました。なんか違うのも混ざってますけど。
これを機会に村上春樹を知った方に、93年頃までの作品で読みやすいものをご紹介します。
作家を最初に読む時は短編がお薦めですが、この人の短編はますます訳がわからないかもしれませんね。ちゃんと小説っぽいのが読みたい方は「ノルウェイの森・上・下」でしょうか。ベストセラーですね。ただなんか物足りないかもしれません。大人のポルノ小説みたいな売れ方でしたが、官能小説としては中途半端ですし。ただ私は綺麗な話だなあと思いましたが。
初期の青春小説が、村上ワールド全開でわかりやすいかもしれません。デビュー作の「風の歌を聴け」、「1973年のビンボール」「羊をめぐる冒険・上・下」が70年代青春三部作と呼ばれている初期の連作です。だんだん冒険小説っぽくなってきます。これ読めましたら受け入れられるかもしれませんねこの世界。「ダンス・ダンス・ダンス上・下」は80年代モノで3部作の続編です。この辺までは一気に読めるかもしれません。
そうしましたら、お薦めは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド上・下」です。これは別格です。傑作です。この小説はちょっと他作品とテイストが違った感じで、SFっぽいんです。まったく別の話が同時に進行して、段々リンクし、最後それが合わさってしまう。その後は既に読み終わっている片方の話の中で終わりの無い世界の話が永遠に続くという・・・。凄い凝った作品です。これには正直唸りました。ちょっと最初に読むにはとっつき難いのですが、訳わからなくなりそうだし。妄想の中にもう一つの妄想があるような、ファンタジーって言うのかなんなんだか。とにかく私は一番好きです。
その後は、他の人とのコラボとか、エッセイとか。で、それ以降の「国境の南、太陽の西」はあまり印象に残っていません。ノルウェイで一発当ててそっち路線で行くのかみたいな。普通の現実世界を描き始めてしまいました。そのあたりで私は会社員を辞めて満員電車に乗らなくなったので、小説そのものを読まなくなったのです。「クロニクル・・・」は途中で読むのをやめてしまったし。また最近の、カフカ~とか読んでみたいですね。正月休みに一気に沢山読もうかな・・。
さて、ここからが本題です。ははは。
村上春樹には甘酸っぱい青春の思い出がああ!ノルウェイ・ノノノノルウェーーーイ!
じゃあここから先は、当時の出来事を、村上春樹風の文体でお届けしましょう!上手く書けるかなあ・・・・?凄い試みですね!
「1993年のノルウェイの国境」 村下春木
日曜日の午後、ピッタリ5分30秒茹でたスパゲッティを皿に盛りガーリックソースを絡めた時電話が鳴った。やれやれ、と僕は思った。こんな時に電話をかけてくるのは、僕に何かを求めてくる人間か何も求めない代わりに時間だけを奪っていく人間だ。スパゲティが伸びる事を相手に告げ電話を切るかまったく無視するかだ。夕方の空気を響かせる電話の音に何の期待を抱けばいいのだろうか。ため息をつきながら僕は受話器を上げた。「久しぶりね。」その声に僕が感じたものは、懐かしさ。言葉にすればたしかそんなものだ。言葉を交わすうちに、学生時代に図書館で出会った彼女の肌の温もりまでも思い出した。「君は今どうしているんだい?」僕は一番聞きたかったことを口にした。「そんなことは今ここで言えるようなものじゃないわ。だってそうでしょう?昨日したことと今日したことが同じわけでもないし、明日なんて何もわからない。はっきりと言えることは、今あなたに電話をしてる。それくらいなのよ。で、あなたは、いまどうなの?」「ぼくは、スパゲティを茹でている。そして伸びていくのを眺めている。」「あら、ごめんなさい。けどね、この世の中には、伸びてしまったスパゲティを食べる人と、アルデンテのスパゲティを食べられる人の2種類の人間しかいないっていうことよ。わかる?」「いや、わからないね。」「まあ、いいわ。けど、私との時間を共有した中で伸びてしまったスパゲティをこのあと食べるっていうのも悪くないわよ。」「悪くない。」僕は独り言のように呟いた。「あなたって、昔から変わらないわ。何でも今ある現実をそのまま受け入れるの。そして後から考えるのよ。それで私達はだめになったのかもしれない。ただ、スパゲティを今食べるのって、食事という行為で人生の穴を埋めているに過ぎないわ。そのスパゲティを食べるのは雪かきと同じよ。しなくちゃいけないものなの。」「スパゲティが雪かき。ふむ、面白い表現をするね。」「そうじゃないわ、私が言いたいのは、それはうどんじゃだめなの、そこにスパゲティがあることがあなたの人生なのよ。」「なるほど」と僕は言った。スパゲティの皿をぼんやり眺め、輪切りの唐辛子が星雲で刻んだガーリックが惑星の宇宙を見た気分になった。「じゃあ、僕の人生は伸びきったスパゲティが表現する宇宙みたいなものなの?」「それはあなた次第よ。もしあなたがアルデンテなスパゲティみたいな人生を望むならば、きっと硬く茹でる日々を送ると思うの。」「君にもアルデンテな人生が訪れるといい。」「私は嫌だわ。そんな硬い人生は。少し伸びきった方がいいのよ。あなたもそうしたほうがいいわよ。少し伸びてしまうの。人生が3倍楽しくなるわ。」「なるほど。けど、今日の君は随分喋るんだね。」「最近私、村上春樹の小説を読んでいるのよ。そうしたらこんな喋り方になったわけ。わかる?」「ああ、実は僕も最近村上春樹ばかり読んでいるんだ。これは偶然なのかな?」僕は同じ小説を二人が離れていても読んでいたことがとても嬉しかった。「それは今にわかるわ。あなたって昔から勘がよかったじゃない。それが変わってないのがきっとわかるのよ。」何か予感を感じる、そんな癖は昔からあった。-予感という名の偶然は必然に変わるー米国の三流小説家が唯一書いた長編小説のなかの一節を思い出しながら僕は受話器を置いた。僕はテーブルの上のスパゲティの皿を見つめてため息をついた。ため息をつくだけの価値はあった。伸びきったスパゲティを食べる人生をこれから送りたくないのだけは確かだった。
おしまい。
どうでしたか?村上ワールドになっています?思い出せるフレーズを盛り込んでみたんですが。15分で書いたのでもうちょっとですねえ。そんなわけで再会したのですが、現実はそんなに上手くいかなかったす・・。
では、また。