2012年5月27日 (日)

一周忌法要。

今日はお寺に行って、父の一周忌法要です。

五月の晴れた日曜日、菩提寺にお世話になります。

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親戚の皆さんもご高齢で、気を使っていただくのも悪いので今回は姉夫婦とうちの夫婦の4人でやることにしました。こじんまりとやります。

命日を3日過ぎました。命日より前の日時に行うのが良いとされる一周忌法要ですが、要介護の母を家に置いておけずに、介護施設に預けられる休日が五月は今日しかなかったのです。

住職に相談したところ、命日を過ぎることは全く気にしなくても良い、問題ないとのお返事を頂きました。

もっとも一周忌法要は命日にやるもの。やはり現代では休日にやるので命日が無理なことが多い。けど命日を忘れないように昔の人は命日を過ぎないようにと戒めていたのでしょう。親戚を呼ぶならば本当は命日前の方がよいのでしょうが仕方がない。命日以外は全て本来は正式じゃない、ならばやれる日にやりましょう。

事前に姉が花屋さんに連絡して花と供物(果物)をお寺に届けてもらいました。

暑い日でしたが、ふすまを開け放った本堂はとても涼しい風が吹きます。住職のお経を頂、お焼香をして、ウグイスがよい声で鳴く中、法要は終わりました。住職から父の思い出話を伺う。20数年前から住職と父の付き合いがあるが、白い割烹着を着てたこ焼きを焼く父の姿を思い出すと言う。こちらも思い出してしまうよ。

一周忌法要は故人を供養するとともに、親族が集まり元気な姿を故人に見てもらうという意味合いもあると住職から伺いました。

本堂から墓地に移動。一周忌法要の卒塔婆を私は持って行く。姉が事前に掃除してくれた墓に新しい卒塔婆を立て、花と供物を飾る。

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お経を頂きました。本堂に戻って、お布施と今回は会食がないので御膳料をお渡しします。

これで一周忌法要全ての儀式が終わりです。

喪中期間も故人が父母の場合は13ヶ月とのことですが、一般的には一周忌法要で喪中は終わりになるようです。

これでやっとなんか、一区切りが付いた気分です・・。

疲れがどっと出てしまい、午後は窓を全部開けた家で爽やかな風に吹かれて、夫婦そろって昼寝をしてしまいました。

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2012年5月26日 (土)

FP2ポタ。

五月はいい!休日の今日も爽やかです。

やっぱ仕事の疲れでぐったりしながらもお昼前に布団を出る。ああ、こんな晴天の日には洗濯しなくちゃ。しかし、妻との洗濯機争いに敗れ、私は夜に洗濯することに・・。

なので自転車で出掛けることにします。現在整備してあってすぐに乗れる自転車はこれだけ。

ピナレロFP2。

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どこ行こうかな?前回火事で引き返したルートで。今回もボトルは一本。早く帰る気?

河川敷のサイクリングロードは意外なほど補給が難しい。大きな川になるほど街は遠く、コンビニどころか自販機も見当たりませんよ。今日も脚は回らないだろうから、遠回りコースで群馬の森まで行ってポカリ1本補給して帰って来よう。

ハンドル周りも派手だねFP2。ピナレロとMOSTのロゴだらけ。

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こういうコーディネートは完成車の醍醐味。

高崎の自宅をまったりとスタート。このルートは殆どがサイクリングロードの安全なコースです。烏川沿いに走る。

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またバーべキュー広場のはみ出し駐車で通り抜けが大変。途中ビアンキ乗りのおじさんを抜いてしまって、あああ、ペースが上がってしまった。なんか抜き返されたくなくて・・。疲れながら例の誰も通らないサイクリングロードを走り、ゴルフ場で通り抜け禁止になってサイクリングロードを降りる。戻る道が見つからず、結局新幹線の高架下で戻る。

ここから鏑川沿いのサイクリングロード。

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おっとルアーやってる。ここがバスのポイントか?

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流れを狙っているところを見ると、噂のスモール狙いか?そろそろバス釣りもやりたいので、バス釣りポイントを探すツーリングもやりたいね。

鮎川沿いの新しいサイクリングロードに入り、鮎川橋からまた鏑川の対岸を走る。

この道は好き。

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自転車乗りはあまり来ない。メインの通りじゃないのだ。

ここの景色なんて、凄くいい。静かな道。

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新幹線の下を抜けてサイクリングロードを降りるとJRと国道17号のガードをくぐり、柳瀬橋で群馬の森到着。思い切り遠回りですが近かったね。

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決めていた通り自販機でポカリを補給。

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群馬の森の中が木陰で涼しそうなので散歩走り。

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お子さんとか走るのでスピードは控えめにね。

ここは昔の火薬庫の跡地なのだ。土塁が残る。

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土塁のトンネル。

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この先は今も火薬工場がある。

さて、涼んだので帰ろう。話題の烏川を渡る橋を走る。

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さっきの好きな道の反対側のアングル。

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ここは癒されるなあ。

シングルのロード乗りと何度か挨拶を交わす。皆きちんと挨拶してくれて気持ちいいなあ。シングルの人とはわかり合えるが、なんか4人くらいのグループのロード乗りには無視されるが何故?

このふざけた格好がいけないのかなあ?上はジャージなんだけど、やっぱ下はレーパンの上にユニクロのパンツ・・。

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だってなんかレーパンのシルエットが恥ずかしいし、本気の走りじゃないんだよとアピールしたくて・・。

途中の公園のオブジェ。

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パンダとゴリラが佇んどる!

雑草が伸びているところが野性っぽくてリアル。

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これ夜中に横を通ったらビビルよ・・。リアルすぎ。

鏑川沿いのサイクリングロード。やっぱ例のゴルフ場のところで立ち入り禁止。道は先に伸びているというのに・・・。

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ゴルフ場は市営のようで、結構賑わっています。危ないので素直に降りて迂回する。行きに見つけられなかった迂回路を発見。

あんだよー、迂回路は未舗装!

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迂回させるなら舗装してよ・・。

税金で作った施設で税金で作った道が通れないなんて、なんかもったいないね。何とかならないのかなあ?

無事自宅に到着。

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今回もケイデンス70死守で頑張りましたよ~。しかし脚が回らん。何とかアウターで走った。

けどFP2の乗りやすさに助けられた。この自転車は乗りやすいよ。今の自分にはこのゆったりした感じが癒される。バネ感があってペダルも回しやすいし。クロモリバイクに乗っているような感じもある。こういうカーボンは歓迎。ツーリングに気持ちいい。パリパリとしたカーボンにも乗りたいけどね・・。

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ちゃちゃと短時間の散歩ツーリング。走行距離は44.3キロ・・。

ま、まだまだ走りはじめだからね。今回はこの程度で許してやるわーっ!

もっと暑くなるとサイクリングロードは足の裏が焼けるような暑さになるよね。そろそろ山方面も開拓するのかな・・。じゃあ軽量ホイールがいるよなあ。うん、いるいる。

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2012年5月24日 (木)

命日。

ちょうど一年前の今日、父が亡くなった。5月24日は父の命日です。

仕事を定時に上がり、墓参りしました。既にお姉さんがお墓を綺麗にしてくれていて、綺麗な花があった。私もそれに花束を追加。華やかになりました。

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父が好きだった落花生もちょっとだけお供えした。カラスが持っていってしまうだろうけど。

実家に寄って、父が生前好きだったものをスーパーで買ってきてお供えしました。

家に帰って、我が家の仏壇にもお供え。

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カーネーションの花束と、食べ物を色々。

父は好きに生きていたよなあ。私が中一の時に、親の面倒をみるからと、横須賀から群馬へ引っ越した。しかも夏休みにだぜ。こんなタイミングで転校したから英語なんかさっぱりわからなくなったよ・・。釣りを覚えて楽しかったけど。

祖父母がやっていたおもちゃ屋が楽しくなったのか、私が高一の時に勤務先をやめて本格的におもちゃ屋を始める。家を建ててそこもパン屋&雑貨屋にした。

祖父母が亡くなってから家の店だけにして自由にやってたなあ。いきなりたこ焼き屋を始めたり。店をたたんでからは城跡めぐりをやっていた。そのときの写真と資料はブログを作ってあげたけど、最後までまとめてあげたいな。

なので仏壇には、まずはたこ焼きをお供え。今夜の私の夕食はヤキソバ。たこ焼き屋でヤキソバも作って売っていたから。父はソースモノ好きだったのかなあ。

冷やし中華はね、最後の2年位かな、まだ父が台所に立っていた頃、夏場私が実家に行く度に「冷やし中華食べるか?作るぞ」とやたら私に食わせたがった。「え?いいよ」と言っても作った。おいしかったよ。何であんなに冷やし中華を作っていたのかは謎。父はそんなに冷やし中華が好きじゃなかったはずなのだが・・。

ビールはキリンラガー。父はあまり酒は飲めなかったけど、たまに飲むビールはいつもキリンラガー。当時の味を再現したクラシックラガーで父と乾杯だ。

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父と酒を一緒に飲むことは生きているうちは無かったけどね。

昨年の5月頃を思い出すよ。本当に大変だった。ブログも殆ど書いていないけど。

このブログの5月の記事

ああ思い出すねえ・・。

20~21日は病室に泊まったんだ。父に聴こえたかどうかわからなかったけど、色々話しかけたよ。

22日の日曜日は家に帰って昼間また病室に行ったのかな。雨が降っていたような。23日は仕事に行って、帰りに寄った。ちょっと意識が戻った感じ。こちらの話がわかったようでね。「育ててくれてありがとう、お父さんの子供でよかったよ」とお礼を言ったんだよ。たこ焼きも冷やし中華も旨かったよ、って伝えたよ。一緒に入院した母は元気になったよと伝えたら、手を握り返してくれたから伝わったと思う。

皆は意識が少し戻ったから良くなるかもしれないと思ったみたいだけど、私はこれでお別れのような感じがしたんだ。病室を出る時、ドアのところで父に向かって最敬礼したよ。ありがとうと言って。あの夜も泊まればよかったと今も悔やむ。

このところ、5月ってこんなに爽やかなんだと思う。昨年はもうなんだかわからなかったもの。段々あの時の記憶も薄らいでいくから、憶えているうちに書いておこう。父の最後の言葉は、もうしゃべれなくなってから少し意識が戻ったいつだったか「おかあさん」だったな。父の妻、母のことだと思う。最後まで離れた病室にいる母を気遣っていた。母に会いたかったのか、母を守ってくれと言う意味だったのか。

変わり者と人に言われる私が言うのもなんだが、父は変わり者だったなあ。色々と思い出を探そう。父が私と同じ歳だった時に何をしていたのかを毎年まとめてみようと思う。

今週末は一周忌法要です。

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