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2011年6月27日 (月)

葬儀の段取り・その1・危篤~安置。

父の葬儀の後の忙しさも、ようやくひと段落しました。あとはお墓の完成を待ち、四十九日法要が待っています。

ここで記録の意味もこめて、父の葬儀をどのように行ったかを記載することにします。

私と同世代の方でご両親がご健在ならば、そろそろご高齢というところでしょう。いざという時に慌てない為にも準備は必要です。うちは母親の具合が悪く準備を進めていましたが、父親はノーマークでした。入院から12日後に逝ってしまいましたので全く準備をしておらず、相当慌てたのです。

今回私は喪主をつとめさせて頂きましたが、これは初めてのことで大変でした。ただ、義母の葬儀を2年前に経験し、喪主ではないものの遺族として葬儀の段取りを経験していたのが今回役に立ちました。

突然のご不幸に慌てない為に、どのような段取りで葬儀まで行われていったのかをレポートします。書き残してはいないので記憶している範囲ですが。

このような祭壇で葬儀を行いました。この記事が、いざという時のご参考になれば幸いです。

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*葬儀は地域や宗派で異なります。うちは群馬県西部、仏式で行いました。

*実家は古いしきたりの残る村社会の集落ですので、独特の風習かもしれません。

1)危篤前に。

父が亡くなる5日前に容態が急変。この時、親戚に連絡をし、お見舞いを頂く。うちは親戚との交流は殆ど両親がやっていたので、母も入院する中、姉と私は誰が親戚なのか大いに困惑。幸いにも父の兄弟が地元にいらして、母の姉妹も近所にいらしたのでそのお二人に親戚中に連絡を回していただく。とても感謝。親戚にキーとなる方がいると助かる。亡くなる前日までにいらしていただけたご兄弟は面会できた。

2)危篤~臨終。

深夜2時。危篤の連絡は何度もあったのでそのときも慌てなかった。ただ、深夜で急だったのでご兄弟への連絡は出来なかった。前日に面会されているので許していただけたと思っている。

姉と二人で父の最期を見取る。遺体はしばらく温かかった。死んでしまったのがなかなか実感できなかった。二人とも泣かなかった。こういうのはもっと悲しいと思ったのにね、と語り合う。気が張っているのか不思議だった。点滴や病室の機材は片付けられ、私が寝泊りした簡易ベットも片付けられた。しばらく枕元で姉と父の話をしたが、殆どが入院中の容態の話だった。窓の外は土砂降りの雨。まるで生きているみたいだねと言っていて、死に水をとるのを忘れた。

3)死後処置

話も途切れたので、3時頃病室を出てナースステーションへ。当直の看護師さんは女性2名。大変な仕事だと思う。死後処置(エンゼルケア)をお願いする。病院のパジャマから浴衣姿になって、鼻には詰め物。顔を綺麗にしてもらった。身体も色々としてくださったのだろう。とても感謝する。

4)葬儀方式と喪主。

病室を出てから、こじんまりと家族葬とするか一般葬にするか姉と決める。やはり一般葬にしようと私が決めた。お世話になった方に不義理があってはいけない。こういうことは一発でやってしまわないと、後々長く続いてしまう。父も最後は派手にやりたいだろうと盛大にすることにする。喪主は長女の姉が同居しているが長男の私がやることにする。

5)葬儀屋に電話。

もう、絶対に葬儀屋さんにお任せすることをお薦めする。彼らの仕事はパーフェクトだった。葬儀にまったくの無知だった私たちは大変助かった。是非事前に評判の葬儀屋さんを見つけておくといい。

葬儀屋は実家の近所の大規模なセレモニーホールでやることにする。事前に決めていなかったが、なんとなくそこしかないと思った。母はそこでやりたがっているし、近所で便利で評判もいい。

一度も連絡はしていないところなので、病院の電話ボックスでタウンページで調べて電話する。深夜だが当直の人が出る。葬儀一式をお願いすることを告げる。病院に遺体搬送の為に来てもらう。看護師さんから深夜は搬出できないので朝7時になったらと言われていたのでそう告げる。

6)遺体移送。

遺体は、実家に帰ることにする。姉が広い和室を掃除し始めていたところでスペースはある。やはり父の建てた家に連れて帰りたい。マンションでエレベーターに入らないとか賃貸で無理とかの場合は葬儀屋さんの建物に安置可能。

ふたたび病室で朝まで姉と話す。いつもの若い男性介護士さんが顔を拭くお絞りを持ってくるが、もういらないと伝える。7時に葬儀屋さんのおそらく当直の方が来る。丁寧な対応。ストレッチャーにみんなで載せる。実家から持ってきてあったタオルケットに遺体を載せ、葬儀屋さん看護師さんと私でせーのと持ち上げる。病室の荷物は全部持って行って欲しいということで荷物でいっぱい。看護師さんに見送られエレベーターへ。緊急処置室のようなところを通って外へ。医師や当直のスタッフが4人雨の中を丁寧に見送ってくださった。

搬送車は白いエスティマの後部を寝台にしたもの。家の実家を知っているようだが、私と姉の車で先導する。葬儀屋さんに家の中を見てもらい、どこに安置するのがいいかアドバイスをもらう。やはり私たちが思っていた場所がベスト。ストレッチャーも庭から入ることが可能なようだ。部屋の家具を皆で一気に片付ける。掃除機もかけた。

7)遺体安置。

ストレッチャーで部屋の手前まで来て、その上部が外れて担架のようになり、部屋に入っていった記憶。ここからは少し曖昧。北枕に布団を敷いて遺体を寝せる。当直の人がしっかりと安置スタイルを作ってくれた。

近所の人が気配に気づいて様子を見に来てくれたのだと思う。連絡はしてなかったと思うので・・。近所に連絡を回してくれる。この集落でも中心的な家の奥さんが私たちのいとこであり、駆けつけてくれた。この方がとてもご近所に顔が広いのでとても助かった。この集落の風習、しきたり、過去の事例を全て教えてもらい、色々と連絡段取りをしてもらった。大感謝。

駆けつけた親戚の地元のおばさんには母方の親戚に連絡を回してもらい、父方の親戚には地元の弟さんに連絡を回してもらうよう電話した。職場から私が出勤してこないので携帯に電話が来る。てんてこ舞いですっかり忘れていた。父が亡くなったことを伝え、通夜葬儀の日程は決まり次第連絡すると伝える。

8)枕飾り。

弔問客を受け付ける為の枕飾りを葬儀屋さんが作っていく。白木の台の上に蝋燭台、山盛りのご飯(これは炊いてあったのか炊いたのか?いとこさんに味噌汁椀に盛ってから茶碗に移すと丸い山盛りご飯になると教わる)、いとこさんが枕だんごを作ってくれた。これは真ん中がへこんでいるだんご。姉はいとこから作り方を教わる。ご飯の上の箸はご飯に突き刺すのかどうかは宗派によるので和尚さんに聞いてくれとのこと。この上の鈴は和尚さん専用で弔問客は鳴らしてはいけないとのこと。

父の胸の上には刀が置かれ、顔には綺麗な布がかけられた。

弔問客が顔の布を取ってはいけない。我々遺族が取るのでお客が来ると父の顔の横にいつも座る。

玄関先には忌中の例の札が下げられ、玄関脇の台には塩が用意されていた。ここで当直の方はホールに戻り、営業・進行担当の方にその後交代する。

9)菩提寺に連絡。

葬儀の日程を決めるのは住職のスケジュール次第。菩提寺に連絡するが電話番号は?電話の上に菩提寺から頂いたカレンダーがあり、それで連絡が出来た。父がそこに貼ったのかナイス父。予感していたのかな。しかし住職は学校の講師をしておりお忙しく、なかなか連絡が付かない。

今まで住職と連絡をしていたのは父だった。どれほどの関係なのか不安。檀家であることは確か。

ちなみに菩提寺がない方は葬儀屋さんに相談。

しばらくして、葬儀屋の担当の方が来て、これからの段取りを決めていく。

ふう、ここまでで深夜2時から朝9時頃です。

次回は、段取り決定~隣組集結~夜~翌日出棺~通夜。

いつかまた、つづく。

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