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2011年10月 5日 (水)

小田原への旅・その5・思い出の道編。

さて、小田原旅行も一泊して二日めです。

ホテルを出て町を散策します。

おっと、ここは居酒屋ビルだけど、以前は大きな本屋だったよね?

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大学生の時、沼津で研修中の彼女と小田原で落ち合って、ここに立ち寄った記憶が。あの頃に帰りたい・・。

そのまま小田原駅へ。ここで荷物をコインロッカーに預けて身軽になる。

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ロッカーは駅構内にもあったけど混んでいるのでここにしました。駅の外の交番の裏。

今日の道のりは、前日とダブるけど、父との思い出をまずは辿ってみた。前日は緑町から駅へ行く商店街を歩いたが、子供の頃はもう一本隣の大通りがアーケード街で賑やかだった気がするのだ。そっちへ行く。

ああ、この本屋。ここは父と来た記憶がある。父は「いせーじ」と発音していたっけ。

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ここだったか、この近所か楽器売り場に良くつれてこられた。父はギターの弦や楽譜を買っていた。店内に大きなクーラーの機械があったのを覚えている。

あー、この教会はあったな。変わらないんだな。

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この教会はバスの窓から見た記憶。ここはバス通りだったのか。

そうそう、この通り。アーケードが繋がっていた。

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この通りには「あさひや」という大きなおもちゃ屋があって、そこに連れてきてもらうのが当時最大の楽しみだったんだ。ゲーム盤とか色々買ってもらったよ。当時はほんとに欲しいものがなかなか買ってもらえなかった印象だったけど、今思うと相当買ってくれてたよ。お父さん、ありがとう。

ここを通るのはいつも夜だったような。しかも冬。きっとクリスマスとか誕生日に仕事から帰った父に連れて行ってもらったのかも。

このアーケードの屋根。

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年末の夜だったか。父と二人でこの道を歩いていた。すると見知らぬ男が横に並んで父に「だんな、いい時計があるんですよ、買ってもらえませんか?」と強引に目の前に腕時計を見せたことを覚えている。その男は年末でお金に困っていたのだろうか?父は無視したが、そういうこともあった時代だった。道端では、戦争で脚を失った男が軍服姿でアコーデオンを弾いて募金を募っていた。そんな時代だ。

また緑町の商店街に行く。ああ、この店懐かしい。

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父とダブルシーとか呼んでいた。このネオンを強烈に覚えているよ。40年ちっとも変わっていないんだ。当時の看板はトランプの模様だったかあ?ちょっと昔はエッチっぽいイメージだった。子供心ながら大人の雰囲気を強く感じた場所。

大人になった今、この店に入りたい。きっとカラオケを唸っているおやじが集う店なんだろうな・・。

この並びあたりに、揚げ物屋さんがあった。母と百貨店での買い物の帰りに立ち寄り、コロッケやアジフライ、イカフライ、かき揚げを買った。緑色の油紙に包まれていた。イカフライ好きだったな。醤油をかけて食べていた。

どうも路地の記憶がおかしい。この道だと家まで遠回りな気がする。当時はもっと近い道があったような・・。

ここかな?

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線路を勝手に渡る道。

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緑町のホームの横。そうそう、これなら近道。

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圧倒的に近いから、当時も通ったはず。

この先に住んでいた家があるわけ。

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もう何度もここに来てしまう。実は昨夜も暗い中来た。

ほんとにもう人は住んでいないのかな?裏の庭の方に廻ってみる。

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ああ、草ぼーぼー。住んでいないよな。庭の小屋はお風呂だよ。何でこの頃住んでいた家は庭に風呂があったのだろうか?でもちょっと形が違っているな。もっと母屋から離れていた。当時、家族がお風呂まで裸足で行けるようにと、父が庭石を綺麗に洗って磨いたことがある。でも私は間違って靴のまま歩いて父にえらく怒られたなあ。お父さん、ゴメンネ。

この家も取り壊されるのは時間の問題だろう。その前に見られてよかったよ。

また通学路を歩く。この先のもう一軒の家に住んでいた時は、父の通勤路でもあったはずだ。少年院の高い壁に壁画。

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この狭い、ほんとに狭い、前から人が来たら大変なことになる路地を良く通った。

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あの家にはこちらの方が近いので父は通ったはずだ。足音が反響して変な感じがした道だった。

この窓も変わらない。

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ただこの先の道が変わってしまって、家までは遠回りになってしまった。先の細い路地には家が建っていた。

またぶらぶらと、子供の頃歩いた道を入ってみる。

小田急ロマンスカー。この型までは走っていたかなあ?あの頃はこの前の型だな。

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当時のロマンスカーは、♪ピンポンパンポ~ン♪とオルゴールを鳴らして走っていたのだ!今は無音だね・・。この音がするとロマンスカーなので、鉄道好きの少年だった私はじーっと見るのだ。通り過ぎるとドップラー効果でオルゴールの音程が下がっていく様を真似したりした。

ロマンスカーに乗った時は感動したな~。黄色いおしぼりが配られるんだ。おねいさんがメニューを持って来て注文できる。紅茶とロールケーキが定番。たまにしか乗らなかったけど、子供ながらにこれは贅沢だと思ったよ。

大人になって、出張で乗った時、帰りに水割りとカツサンドを注文した時は大人になったと思った。

うわ、新型はこんなになっていた。

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ゴージャスだね。

また小学校に行ってみる。このマンホールを避けて壁がえぐってあるところなんて40年変わらないんだよ。

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子供の頃はこういう造形に凄く興味があった。

踏切を渡る。

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この電車、大変失礼な話だが、当時この小学校の生徒の間では何故か「えん○ちょ電車」と呼ばれていた。学校のすぐ横を走るのだが、この電車が校庭の横を通り過ぎるまで、生徒は片足を上げていなければならないという謎のルールがあったのだ!昼休みや放課後に校庭で遊んでいる時にそのルールは適用される。片足を上げ忘れた生徒は「えんがちょ!」と叫ばれ鬼的な存在になり、友人にタッチをしなければ「えんがちょ」から逃れられない。しかし、両手の親指と人差し指で輪を作っておけばタッチされても無効になるので、鬼は不意打ちしかなく、しばらく続いてしまう。

この電車に何の落ち度はないが、ルールを作るためにたまたま都合よく子供の遊びの対象になってしまったのだ。子供っていうのはほんとに失礼だよな。

けど大人も変なルールを作った。当時この学校では校内でチャイムが鳴っている間は直立不動で動いてはいけないという規則があった。今考えても意味はわからない・・。

そろばん塾に通っていた公民館から、今回一番行きたかったここに出る。ここはお寺の入り口。

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そろばん塾に通うには、この寺の墓地を通らなければならなかった。そうしないと倍くらい遠回りになる。

夕方、行くには一人で通ったが、静まりかえった墓地は明るくても怖かった。風に塔婆が揺れてカタカタと鳴ると走り出したくなった。なので帰りは仕事から帰ってきた父が迎えに来てくれた。このスロープが砂利に変わるあたりで、いつも懐中電灯を持った父が立っていて出迎えてくれた。職場の制服姿だったか。

父の視点で私のほうを見る。

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父はこのアングルで帰ってくる私を見ていたんだなあ。この頃の父の年齢は、計算すると今の私と同じ年齢だった。

墓地の中はジグザグに歩いた。最後のここは直線。

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父と二人で歩いてても塔婆が鳴ると怖かった。今の私だって怖いだろう。当時の父が私を迎えに来る時、真っ暗な墓地を一人で歩いてきっと怖かっただろうなあ。

それでも私のために迎えに来てくれたんだね。お父さん、ありがとう。

この扉が今にも開きそうで怖かったなあ。

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この先でまたあの家の前に出る。

商店街で懐かしい店発見。ここでよくプラモデルを買ってもらった。マニアックな模型店。

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店の中に戦争モノのジオラマがあって見ていて楽しかった。

父はゼロ戦とか軍艦を作るのが得意で上手だったな。私も田宮のウオーターラインシリーズで戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦を良く作った。特に好きだったのは航空戦艦伊勢と、やっぱ戦艦大和かな。父の作った空母エンタープライズは巨大で圧巻だった。しばらく家の玄関に飾ってあった。けど父は造っていて良く間違いもして、その時の口癖は「失敗、失敗、大失敗~」だった。

友人が沢山住んでいた城山方面に向かう。

この医者にもお世話になった。

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結構高熱を出して肺炎の手前になった。父が私をここに連れてきた時、私はさらに具合が悪くなってぐったりした。肺炎の疑いがあってレントゲンを撮ることになった。父はおろおろして家に慌てて戻って母を呼んできたという。その間私は一人ぼっちだった。

その先にある大稲荷神社。

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この前で開かれる縁日は毎年楽しみだったなあ。水飴、たこ焼き、水ヨーヨー釣り、綿菓子、ハッカパイプ、みそおでん。

おでんといえばこんにゃくの味噌おでんだった。焼き鳥といえば皮だったんだよ。肉はどこに?

狐様が檻に入っているのがここの特徴。

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ここは学生時代のあの彼女とも来たなあ。そうだあの時小学校にも行ったから二人で私の懐かしい場所を散策したんだ。彼女、変な場所に連れて行ってゴメン。

城山を歩く。こんな急な上り坂だったか。子供の頃の私は結構脚力あったのね。懐かしい山手橋。

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当時は石の橋だったな。下の道に降りる石段は片側だけになっていたな。ここがある意味私の結界で、この先はちょっと自分にとって遠い場所だった。探検をするようにね。その分あれはなんだったのだろう?という不思議な光景もあったので是非検証したい。しかし、この先で先日の台風での倒木が道をふさぎ通れなかった。残念。この先は次回来たら探索しよう。

こういう石段を上り下りした記憶があるんだ。

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変わってしまったが石段は変わらないようなので、それを目印に探せば記憶が蘇りそうだ。今回発見できなかった初恋のSさん、その次に好きになったTさんの家も見つけられるかも。次回の目的だ。

駅の西口に出る。新幹線ビルも2階の店はやっていなくて、マンションになっている。

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ここの店で、父にズボンを買ってもらったことがある。当時ジーパンが流行りだしていた。欲しかったんだけど、母はジーパンはアメリカの作業服だから着てはいけないと買ってくれなかった。昔の話である。なので父に買ってもらおうと一緒に買い物に出掛けたのだけど、父にジーパンがどんなものなのか上手く伝えられなかったんだ。結局そこにあった普通の茶色いズボンを2本買ってもらったのだけど、ジーパンじゃないので気に入らなくてあまり履かなかったよ。お父さん、ゴメンネ。買ってくれてありがとう。

続いて、父とよく行った小田原城に行くことにした。

次回に続く。

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