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2011年10月 8日 (土)

小田原への旅・その6・小田原城編。

前回の続き、小田原への旅もいよいよ佳境へ。小田原といえば小田原城、行ってみます。ここは幼い頃によく両親に連れて行ってもらった思い出の場所です。

駅から歩いて、この坂道を上ると城はもうすぐ。夏はクマゼミの鳴き声を覚えている。

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この日はツクツクホウシ。よーく覚えているよ、この道。

本丸に出る。ああ、このお城。

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復元モノなので、コンクリート製ですが・・。

私の生まれる少し前に建設された。実際の天守閣とはちょっと違うそうですが・・。石垣にテラスがあるのが特徴。その上の建物の出っ張り部分の下部は石落しといって、石垣を上って来る敵に石を落とす場所と、父から聞いた。けど石垣のテラスに敵がうじゃうじゃ上って来たら横のほうから簡単に登れそうな・・。

この城をプラモデルで作ったなあ。え?お城のプラモデルってあるんだよ。城好きな父といろんな城を作ったよ。

本丸。ここに象がいたんだけど・・。2009年に亡くなったそうだ。

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昭和25年にここへ来て62歳まで生きた。私が子供の頃見たあの象が2年前まで生きていたのだ。象のウメ子。小田原っこならみんな見た象。飼育場には空堀があった。逃げないようになっていたのかな。

この左手に売店があって、そこでアイスクリームとか買ってもらったな。一番好きだったのが当時ホットドックと呼ばれていた今のアメリカンドック。いやほんとだって、アメリカンドッグが昔はホットドックって名前だったの。中身は魚肉ソーセージだったけど美味しかったよ~。ケチャップたっぷりつけてね。あの味が小田原城の中で一番の思い出。

久しぶりにお城に登ろう。

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ここから先は有料。

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お城に登るのは小学生の時以来。

中は博物館っぽくなっている。この辺は変わらない気がするが、内容が良くわかるし楽しいのは大人になったからだな。

最上階からの眺め。

駅方面。ああ丹沢の山々だ。小学校の窓からも良く見えた山。

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冬は雪を被っていたなあ。大井松田の第一生命ビルも良く見える。

箱根の山。手前の山の上には石垣山一夜城の跡。

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小田原城は北条氏の頃は難攻不落の堅牢な城であった。攻めてきた武田信玄、上杉謙信をも退けた。しかし、天下統一の豊臣秀吉に包囲され陥落。

その時に秀吉が陣地を築いたのが石垣山。小田原を見下ろすこの山に大規模な城を築き、完成後に周囲の木を伐採し、小田原城からは一夜にして城が出現したかのように見せた。これは北条側もビックリしたであろう。それで戦意を喪失し開城に到ったという話である。

この一夜城に子供の頃父と一緒に行った。父のマツダキャロルだったか、2気筒の軽自動車でこの山を登るのは大変だった。城跡を見て二人で驚いた。山の中に巨大な石垣が出現したのだ。今のように発掘して整備される以前のこと、戦国時代のままのように石垣が残っていたのだ。特に井戸曲輪のすり鉢状の石垣は見事。城好きの父親も驚きを隠せなかった。名曲、荒城の月にそっくりな感じだった。地面には当時の瓦が転がっていたんだよ。小田原城より凄いかも・・。

篭城する敵を攻めるのに、これほどの石垣のある城が必要かは疑問だが、秀吉は作りたかったんだろうな。城好きな人はこっちを見たほうが良い。いつかまた行ってみたい。

海が結構近い町。

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天守閣を堪能して、周囲を散策。

本丸への入り口、常盤木門。

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私が小学生の頃復元された。出来たての頃、父と一緒に見に行った。内部は新築の香りがしたのを覚えている。

ジグザグに道が付けられ、門の前に敵が溜まった所を攻撃しやすいのだ。父に熱心に説明してもらった。

続いて新めの銅門(あかがねもん)。

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こちらは私は初めて見た。平成9年復元。父は晩年も職場の同窓会で小田原へ行っているので、この門は見ているかもしれない。

あかがね門の名前の由来は、この銅の金具。

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いつかは緑色になるだろうけど・・。

梁の巨木には、のみで手彫りした跡がくっきり。かっこいい。

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狭間、銃眼だ。この穴から弓や鉄砲を撃った。三角形がカッコイイ。

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かなり立派な門。お役所も力が入っている。

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堀との組み合わせも美しい。

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大手門から登城する正面ルートを復元するよう。

先にもまた門が復元されている。

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二層櫓跡。

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ここに2階建ての櫓があったのだ。是非復元して欲しいなあ。

唯一復元されている櫓。二の丸隅櫓。

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この櫓は、明治になった時に天守閣や他の櫓が取り壊されるなか、唯一残された現存遺構であったが、大正の関東大震災で堀の中に倒壊したそう。昭和10年に復元したが大きさは半分になったそうで・・。ここの石垣ももっと高かったそうだ。この櫓は私が子供の時には既にあった。

馬出門。平成21年に復元。

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これは父も見ていないな。見せてあげたかったよ。

さて、復元されているのはここまでなので、また天守閣の方へ戻る。

ああ、図書館だ。ここには、小学4~5年の頃、友達と日曜日に通ったんだ。

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結構家から歩くのに、なんでここに来るのが流行ったのかな?友人は勉強していたけど、私は好きな本を読んでいただけだった。

本丸の下側の石垣。ここはきちんと復元されず、関東大震災で崩れた時のままなのだろう。

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こういう自然なままが好き。

先には空堀があった。

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水が溜まっているが、これは先日の台風の影響か。本当は空堀。こういうのは当時のままの遺構であろう。

先に行くと、懐かしい!遊園地の電車だ。

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ああ、これには良く乗せてもらったなあ。ガタガタ振動が激しいんだよ。

小高い丘の上には確か観覧車があったはず。これも好きだったよ。今は何もないけど。

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この車両、40年前と同じものじゃないだろうか?塗装されているが形は全く同じだよ。

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このレール覚えている。真ん中の線は電線なのだろう。

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ああ、面白かったよ小田原城。市も力を入れているようで、よかったよ。

帰り道、城内で一番行きたかった場所へ行く。

市民球場。野球場だが、もう使われていない。駐車場になっていたようだが、また改装するみたい。スタンドも取り壊されるのだろう。

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ここへは何故か父と結構来ていた。たまたまやっていた野球の試合をスタンドから観戦したのだ。

父は野球が好きだったのか。そういえば、仕事から帰るとテレビでナイターを観ていたな。当時は巨人戦しかTV中継をしていないので巨人ファンが殆どだった。父はあまり飲めないビールを飲んで観ていたなあ。私もV9時代の巨人の大ファン。王、長島の黄金時代。私は柴田が好きだった。

スタンドに座ってみる。

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あの日のスタンドの歓声が蘇る。子供の私はここに座って、高校野球だったか試合を見ていた。

そして隣には必ず父がいたんだ。ここに父は座っていた。

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もう父はこの世にはいない。

色々な場所に連れて行ってくれたのだなあ。

お父さん、ありがとう。

お父さん、さようなら。

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