« 旅の小田原・その2・CefeTen(カフェ・テン)に通いたい。 | トップページ | 旅の小田原・その4・思い出めぐり&おたのしみ弁当。 »

2013年8月26日 (月)

旅の小田原・その3・幻の生家を発見。

さて、前回までの続き、少年時代を過ごした小田原を旅しております。

滞在二日めの朝、ホテルグリーンをチェックアウトして、駅へ向かいます。途中、小4~小5年生の時に住んでいた家をまた見てから行きます。

U1


やっぱ誰か住んでらっしゃる・・。ずうっと住んでいてね。その限りこの家は在り続けるのだから。

小田原駅に到着。バックをコインロッカーに入れて身軽になる。

今回乗るのは小田急線。この駅舎はカッコイイね。

U2


本日の目的地は、小田急線の栢山駅です。小田原駅から各駅停車で4つ目かな?

何故栢山に行くかというと、そこには私の生家とも呼べる、0~3歳の時に住んだ家があるのです。そこには引っ越してから初めての訪問です。まあ、当時の家は残っていないと思うけどと・・・。

ホームにいた急行新宿行きに乗ると、栢山には停まらず次は新松田だそうで。

慌てて降りて、各駅停車の新松田行きに乗りました。

U3


この列車、白地に青のライン懐かしいね。小学校への登下校で小田急線の線路沿いを歩いたからよく見たよ。けど、都内に住んだ時は京王線沿線にばかり住んでいたので、小田急に乗るのは久しぶりです。

無事到着。栢山駅。

U4

駅に関する当時の記憶は、駅を出て踏み切りを渡って左手に歩くこと。

姉は6歳まで過ごしたので当時の記憶が豊富。姉の記憶だとその先、川を右手に見ながら北へと歩く。

栢山の家とは、ずっと謎の存在でした。私の3歳までの記憶では曖昧。引越しをする時に私が泣いて、紙袋に入った花火を誰かからもらって泣き止んで、トラックの高い席に乗せられたのが最大の記憶か。

家の姿形も記憶に無く、アルバムの写真だけが手掛かりです。姉も一度行ってみたが、記憶を辿ってもその家に行き着くことは出来なかったそうです。

その家は、私が両親によって製造された現場であるのです(笑)。産まれたのは群馬の産婦人科医院でしたが、栢山が生家と言ってもいいと思う。是非行ってみたいのです。

父が亡くなる半年前だったか、この栢山の家について聞いたことがある。父はヤフーの地図の航空写真から、この家だよと指差しました。駅から川沿いに北に行き、西に路地を入り南に曲がる場所。田んぼの中にパラパラっと集落がある場所でした。けど、その後父が亡くなり、私も場所を忘れてしまい、この辺かなあ?と思うばかり。母はボケてて全く思い出せないし・・。

しかーし、今回の小田原旅で栢山行きを思い立ち、実家でアルバムの写真を分析していたら。姉がアルバムに栢山の家の住所が書かれているのを発見したのです!

幻の生家が一気に現実の場所になりました。地図で確認するとその番地は存在し家も建っています。その家が当時の家かはわからないけど、これは行くしかない!

川沿いを歩く。

U5


姉の記憶だと、当時は護岸工事もしていなくて、水がとても綺麗だったとか。当時歩いただろう川の左側は歩道が無くてとても危険なので右側の歩道を歩く。

水は比較的綺麗。小魚も沢山います。大きな野鯉が群れていました。

U6


寄ってきたので誰かが餌付けをしているのでしょう。野生を無くした奴らです。

父は小田急線で小田原駅まで通勤していたので、仕事のある日はいつもこの道を歩いていたのだなあと思いながら行く。

結構栢山駅から遠い。母は赤ん坊の私を背負って、こんな長い距離を駅まで歩いたのだろうか。

目的の路地へと西へ曲がる。ここで位置を確認。アルバムにこんな写真がある。

3歳頃の私が、おそらく近所の友達(記憶に無くてごめんなさい)と一緒に三輪車に乗っているところ。

左が私ね。たぶん3歳ごろ。

U7


くう、私の三輪車は無茶くちゃ錆びていてボロい(笑)。親は拾ってきたのか?

今回路地を入って北側の風景。山の稜線が一致するか?

U8


アップすると・・。記憶に無い彼アップにしてごめんね。

U9


うん、山の稜線が同じです。上の画像の赤い家の辺りに彼がいる感じ。

確かにこの辺りに私はいたのだ。

さらにもう一枚の写真。

1歳と1ヶ月の私。かわいい!

U10


超きゅーと!しかも神童らしい雰囲気もありますね!

赤ちゃんの私に見とれている場合じゃありません。この背景の家の屋根も特徴があり手掛かりになる。

U11


家の近所で撮られた1枚です。

辺りを探すと・・。ありました、この屋根。

U12


近い!この近くでしょう。持参した地図に照合。アルバムに書いてあった住所はこの反対側の路地の先。

その住所に生家は在りました。

明らかに周りの家と異質、年代が違います。この古さは本物です。写真からのイメージと一致、見た瞬間にこの家だと確信しました。いや、この玄関周り、記憶の底にあるイメージ。

この家を引っ越した後に見た幼い頃の夢の記憶だと思うのですが、この玄関の前に父が長い柄の付いた柄杓を持って立ち、父が見る方向には巨大な渦が空にあり、あれが台風の目だと父が教えてくれる、という夢。その夢に出てきた家のイメージです。

U13


住んでいる方がいるようなので、遠景で。オールトタン張りの家・・。おそらく戦後間もない頃に建てられた家の雰囲気です。

現存していました。発見しましたよ、幻の生家を!

さらに確証を得るために、さりげなく横を通り過ぎながら撮影。住んでいる人に気付かれないよう、近所の人に怪しまれないように。

ありました。アルバムの写真で唯一家の外観がわかる写真を憶えていきましたので、その風景と頭の中で並べてみた。間違いない、この家です。

私がやはり1歳の頃の写真。この家の庭で撮影されています(他に家の窓に座っている写真もあり窓の形状が同じ)。

U14

そしてこれがその家の庭を道から撮影した部分。U15_2


窓のデザイン、桟、トタンの幅が一致。

U16


そして土台に空いている穴が、現在は庭の土に下の部分まで埋まっていますが、一致します。窓は作り替えているようですが、イメージは同じです。

同じ住所に写真と同じ意匠の家が建っている。これが私の生家です。

まさか当時のまま現存しているなんて。私は感動してしまいましたよ。

これも、住んでいる方のおかげ。この家も住み続けていただければ、存在してくれるのです。どうもありがとう。

熱いものがこみ上げてきましたよ。さらに記憶にあるものは無いかと周囲を散策。

あの頃の記憶は、レンゲ畑で姉とレンゲを摘んだこと。畑から湧き水がボコボコ沸いていた事です。

周囲には水路がとても多い。

U17


水がとても綺麗です。やはり湧水があるのでしょう。小魚が泳いでいます。

なんかこの風景、引っ掛かる。おそらく母が私を散歩に連れてくるには最適なコース。必ず来たはずです。

この古い小屋が引っ掛かる。U18_2


記憶には無いのですが、たまに見る夢に出てくる小屋。橋を渡らないといけない小屋で、その橋はその小屋のためだけにある。そんな小屋を夢でたまに見る。この小屋だったのかもしれない。

集落をグルグルグルグル歩いてしまったよ。やはり住んでいた場所なんでしょう。すぐに馴染んだ感じです。

ああ来てよかった。

急に暑くなって、ハアハアいいながら駅に到着。

確かこのATMのある辺りに当時は売店があった気がするのです。そこでビニールの小さな水筒の形をした容器に入ったコンペイトウを買ってもらった記憶が。嬉しくて首からしばらく掛けていました。

U19


あとこれもその売店だったと思うけど。当時メロディーチョコってのがあって、凄くほしかった。母が珍しく買ってくれそうになって、私は青い箱のが欲しかったのに、売店のおばさんが青いのは大人向き、子供は赤い箱をどうぞと言われ、無理やり赤い箱のメロディーチョコを食べることになったこと。青い箱が良かったのになんで・・。と嬉しかったが悲しかった。あとで調べたら青がセミスィートで赤がミルク味だった。青はちょっとビターな味だったので、売店のおばさんが言ったことはある意味正しかったのだ。

そんなことを思い出してしまったよ。買ってもらえたものは結構憶えているんですよ。

さて、小田原に戻りましょう。

次回は、初恋のあの子の家を探す、です。

|

« 旅の小田原・その2・CefeTen(カフェ・テン)に通いたい。 | トップページ | 旅の小田原・その4・思い出めぐり&おたのしみ弁当。 »

旅行・地域」カテゴリの記事