過去乗っていた「アンカーRML7」その2・乗鞍参戦~ツーリング仕様化。
昔乗っていたロードバイク、アンカー・マグネシウムの続きの記事を久しぶりに書きます。お待たせしました。
さて、自分でも乗れていた頃に乗っていたバイクです。ヒルクライムレースを連戦。とうとう当時ヒルクラ最高峰といわれた乗鞍に参戦です。
このレースは当時でも特殊で、軽量化されたヒルクラマシンが登場することでも有名でした。なので私もこのアンカーをギリギリ軽量化します。といってもトリプル仕様なんでそんなには軽くなりませんけど。
アンカーRML7乗鞍仕様。2004年8月。
前回の会津ヒルクライムからの変更点は、
サドルをセライタリア・SLR(135グラム)に。これは殆どパットが無くて尻から火が出るような痛さとの戦い(笑)、短距離決戦用ですな。
シートポストをXLR8R(160グラム)へ。こりゃ軽いわ、カーボンモノコックですね。
しかし、このシートポスト変更がレース中のトラブルになってしまったのです。
シートポストが下がってしまう慢性的なトラブルを抱えていました。実際は30・4ミリのピラー径を付属のシムで27・2ミリにしてあるのですが、XLR8Rは表面がつるっとした仕上げなのか、しっかり止まらず下がってきます。対策としてクランプを太いものにし、シムを2段階に装着し乗鞍のレースに臨みましたが、残り5キロの激坂区間でシートが下がりだし失速、4センチ下がった状態でのゴールでした・・。
ええ、走っている途中でずるずるとサドルが下がる恐怖。降りて直そうと思いましたが、ここで降りたらもう押しちゃうと思ったもんで。
今の乗鞍はどうなんだかわかりませんが、当時はなんか山小屋があるアタリからの急斜面から、コンクリっぽい簡易舗装の区間があったのです。そこは急だわ路面が悪いわでもう大変。ちょうどそこでサドルが落ちてきちったんで、くそー、そのまま行ったれ!となったんですね。
無事完走しましたけど。最後斜度が緩くなるんですけど、そこでなんか息苦しくて加速が出来なかった。標高との戦いでもあるんです。山が高すぎます。天気悪くて下山では寒かったよ・・。
いい思い出でした。参加者が多すぎて、スタートするまであんなに時間が掛かったのも初めてだった。
当時のゴール後の私。
うぎゃああ、腹が殆ど出ていないよ・・。なんてスリムなんだ!今の腹からは信じられないよ。自転車乗る前は80キロを越えていた体重をこの時60キロ台まで落としていました。自転車は本気で乗れば確実に痩せますよ!
今?78キロです・・・。
当時のブログ記事を探したのですが・・。まだブログのない時代のHP記事をブログに移転したものです。画像は1枚だけ貼れましたがHPを消去したら画像も消えました・・。
一応転載記事をリンクします。参戦記事は当時マイブームだったでたらめ架空話です(笑)ホモネタなんで楽しんでください・・。ネタでリタイアしていますが、実際は完走してますから。
全く、あの頃はいい加減なこと書いていたなあ。当時はこういう余裕があったんだよ。今ロードバイクに夢中になっている人は信じられないとは思うけど。もう本気過ぎだから今こんなこと書いたら怒られちゃうんだよ。あのころの乗鞍だって、私が下山する時にまだ登っていた人たちは皆バイクを押してたよ。今のヒルクライム知らないけど、押している人はあんまりいないんでしょう?時代は変わったよなあ。
で、この2004年の最後のヒルクライムレースは、Mt富士ヒルクライムの第1回大会だったけど、それはいよいよ当時の本気マシンのTIMEで参戦した。
なんで、このアンカーのレースマシンとしての役目は終了。ツーリングぽくなって行くのです。
トリプルなんで、山に行くのがおもな走り。今じゃ考えられないくらい山を走っていましたね。
お気に入りコースは2つ。けど、今でもこのコースはあまりローディーが何故か走っていない穴場コース。
ひとつは安中から倉渕に抜ける地蔵峠。ここはいい道です。
もうひとつは、御荷鉾山をめぐる峠コース。
甘楽の小幡から雄川沿いに上がって秋畑から峠を越えて日野へ鮎川沿いに降りるコース。
秋畑は急峻な斜面に集落が広がっている景観保存地区だっけな。絶景だよ。
それと藤岡から鮎川沿いに上って、塩沢峠から神流へ抜けるコース。こちらも急だよ。
夢中になると凄い坂も登れるんだねえ・・。
暑い時期だったが、どっちのコースか忘れたがこんな滝があった。
その後、ホイールを今でも使っているカンパのヴェントに。スプロケを14-25Tにしたりした。
さらにバックを積めるようにした。乗鞍ヒルクライムを走ったバイクがこんなお姿に・・。
これはちょっとやりすぎで実際には使わなかったのですが、ここまでロードバイクでも荷物は積めますよという図。
実際はフロントバックのみが多かった。
トピークのツアーガイド。上面のマップケースがツーリングの泣かせる仕様。
このフロントバックは変速バナナでシフトワイヤーを逃がして装着してあります。
なんとハンドルバーに補助ブレーキも装着。これはやりすぎだろう(笑)
カメラ用のロウプロ製ウエストポーチを改造してフロントバック化。
宿泊ツーリングではコレ。
リクセンカウルのマッチバック。20リットルという大容量。けどそんなに重いものはダメだよ。
なんたってこのアタッチメントの許容重量まで。プラスチックだから。
というわけで、この仕様でチームのお泊りツーリング。倉渕経由で沢渡温泉で一泊し、翌日は渋川経由で帰宅。その時の仕様。
バックが積めるバイクは当時コレがメインだったので、色々ツーリングしました。
これは富岡官営製糸工場。まだ今みたいに世界遺産候補ブームになる前の姿。
フロントバックに名物の絹シューマイを入れてお土産に。ロードバイクでもツーリングできるということを証明したかったんだな。当時はまだツーリングはMTBという風潮で、ランドナーは今のように復活していなかったんだよ。
と、いうわけで一番乗れていた頃のバイクなんで思いではいっぱいです。マグネシウムのメリットはあまり活かされなかったバイクですが、歴史に残る一台であろう。
この後、コンパクトクランクが台頭してきて、ロードバイクをトリプルで組むという最後の時代のバイクでしょう。
その後いろいろあったんですけどね・・・。M氏に譲り、カンパニョーロを移植されています。まだ腐食はしてないようですが。
またアンカーのバイクに乗りたいなあ・・。
コレでアンカーRML7の記事は全て終わりです。このバイクの記事は沢山書いたと思うけど、もう探すのが大変でこんな感じですみません。
昔乗っていたバイクシリーズは、あとはアンカーのネオコットMTB、デローザのアルミカーボンバック、GIANTの折りたたみMR-4というところですが。(GIOSのシクロクロス、ビアンキの折りたたみもざっと書きます)
以前のブログのインデックスという感じで書いていますが、どれから書きましょうかね?いつになるかわかりませんが。
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