思い出旅その3・あの丘・アパート・suicaで新幹線編。
多摩センターに朝が来ました。
思い出旅の最終日です。
チェックアウトは11時なので時間はある。部屋に荷物を置いたまま散策へ。
駅と反対方向。
ああ、この場所。ここで良く群馬で別れた彼女へと電話しました。携帯なんかない時代ですから。
謎のガラス張りの建物はまだあった。この先のレンガの壁で行き止まりになっていたが今は抜けられるね。
ここを左折。
昭和の頃に作られた理想的な多摩ニュータウンです。
どういう状況でここに来たのかはわからない。自分は良く散歩で来た場所。
この場所を彼女に見せたかったのだろう。この景色を。たぶんデートの帰りかな?
その時の写真が残っている。ちゃんとスマホに入れて来たよ(笑)。
別れた彼女の写真をすぐに捨てちゃう人もいるけど、私は捨てない。大切な思い出が捨てたらなくなっちゃうじゃないか・・。
うぎゃああ。もう何十年前なのか?昭和な感じだけど。
脚が綺麗な人だったんだねえ。
当時の私はお尻フェチで(笑)。彼女には「ふつう男の子って胸が好きなんじゃないの?なんでお尻ばっかり・・」て言われた。
この後、脚フェチになって、もったいないことをした。この脚に黒やラメや網のパンストじゃなくってストッキングを履かせ、いや、なんでもありません(恥)。まったく当時は脚に興味が無かったんだよ、残念(泣)・・。
この場所から撮影したんだね。
その時同時に彼女が撮影した私の写真は。
なんだこのだらけた格好。こういうやつだったんだよ。しかもこの服。ジーンズメイトで買ったんだな。
まあ、今より痩せていたのは確か。
この場所で撮影したんだな。
何で彼女は縦画で撮影したんだろう。カメラも上手だったのか?いや、当時のカメラはハーフサイズのフィルムカメラ。一コマを2枚で縦割りして撮影するので普通に構えると縦画になったんだよね。
彼女はこの入り口付近に立って私を撮影したんだな。この場所から彼女を見ていたんだ。
くうううーーーー、涙が止まらん!
しばらくボーっとしてしまったよ。
けど、どうやってここに来たんだろう?徒歩じゃないだろう。たぶん車だ。
で、このくぼみに路駐したんだな。当時は今より路駐とかうるさくなかったからなあ。すんませんね。
その後の歴代の彼女もきっと連れて来たんだろうな。
好きな場所だったから。
帰ろう。
道をホテルへ戻る。
すっかり汗をかいてしまったのでシャワーを浴びてから、ホテルをチェックアウト。
京王プラザホテル多摩、お世話になりました。
朝の多摩センターは既に賑やか。早朝はピューロランドへ行くスタッフの働く方々が、 この時間はピューロランドに行くお客さんの列です。
女性率高し。
多摩モノレールの駅。かっこいい駅舎。こんなの当時は無かったよな。
まさかモノレールとはねえ。確かにこの先の道には妙に広い中央分離帯が当時からあったので、昔から計画していたのでしょう。これが当時にあれば通学が便利でここから引っ越さなかったかもなあ。
ここは彼女が暮らしていた町です。
ああ、この通りをきっと二人で歩いたな。手なんか繋いじゃったりして。この後ろにスーパーの「ラブさん」だったか「ラブラブ」とかいう店に食材を買いに行ったのだ。
ああ、ここです。彼女のアパート。
この三階端の部屋だったな。階段を二人で上り下りしたなあ。見晴らしはいいんだよ。
彼女は自転車乗りでね。大学では自転車部で。当時はツーリングが主体。彼女もランドナーに乗って北海道一周ツーリングとかやっていた。フロントとサイドバック付けてね。
その時乗っていたランドナーをビアンキでお馴染みのカラーのチェレステという薄緑青色にショップで塗り直していたなあ。水色が好きだったのかもね。
一緒に町田の自転車屋さんにグローブを買いに行ったっけ。
自分も自転車に乗り始めてね。いきがって桜上水からここまで高校生の時に通学で使っていたロードバイクもどきで走ってきた。けど帰るのが嫌になっちゃって、このアパートの3階のドアの前に置きっぱなしにしちゃって。そのまま別れたんだよなあ。
このアパートは当時は新築だったけど、年季が入ったね。
で、この橋の向こうに中学の同級生だったM君のアパートがあってね。彼も自転車部でその関係で彼女と出会ったんだ。
結局あの自分の自転車はM君のアパートに彼女が持って行ったんだ。ちゃんと自転車屋さんで整備されていたんだよ。
ごめんね。M君宅に受け取りに行ったんだけど。あのタイミングでやり直せたかもしれないなあ・・。
彼女の通学ルート。提供大学の3年生だったな。向こうのビルが今の提供大の校舎。立派になったね。
この先真っすぐ抜けられて、神社の脇に道があったのだけど、もう通れなかった。
その後彼女は証券会社に就職。五反田の支店にいた。4年間住んだこのアパートを出て、都心の会社の寮に住んでいた。
自分の癖で、その頃再会してしまう。別れた彼女と後年また会いたくなっちゃうんだよおおお・・。
彼女は五反田の駅前でティッシュ配りばかりだそうで、居酒屋で悲しそうに話していたな。「○○ちゃん、ティッシュ配り、好きですか?」って言われたけどやったことないし。
私も就職していた。「あのころと違って私大人になったから・・」って言われたけど。その後会うことは無かった。
けど翌年年賀状もらって、会社を辞めて簿記の専門学校に通っているって書いてあった。
新しい道を歩き出したんだ。わたし、住所がわかると女の子の家に行っちゃうストーカー癖があって(笑)。
阿佐ヶ谷に引っ越したそうで。電話番号は書いていなかったので、アパートに行ったけど不在だった。自分は大学4年から就職した年まで付き合っていた彼女と別れた頃だったから、あの時部屋に彼女がいたらその後どうなっていたのかなあ?
群馬に帰ってきたころM君に聞いたら。その後結婚して千葉でお子さんもいて幸せに暮らしているそうだ。
二人で歩いたこの道。
泣きながら駅に戻りました。
モノレールの駅にて。
多摩センターはあの丘の向こう。
自転車であの丘を越えたことも有ったな。団地の中の公園で自転車を置いて休んでいると小学生の男の子が話しかけて来て、しばらく自転車の話とかしていたな。あの子はどうしているのかな。
大学の方を見ると。名声大学もビルになっていたなあ。
最初のバイト先で知り合ったあのうちでお皿を洗ってくれたおねいさんは名声大卒で、その彼氏からベースギターを譲ってもらったな。
BCリッチのイーグルベースで初期のハンドメイドで当時50万円くらいした奴を数万円で売ってくれた。壊れていて修理代が高かったけど・・。
当時人気のクリエイションというバンドのベーシストがツアーで使っていたという実物。アルミのツアーケースに航空機会社の壊れ物シールが沢山貼ってあってかっこよかったな。
東京は凄いものが手に入るところだと思った。
高幡不動で下車して、駅前の「あんず村」でドンスパというパスタを懐かしんで食べようとしたけど、違う彼女との思い出だし、暑さでぐったりしたのでやめた。
行に新宿駅の人混みに卒倒しそうになったので、立川で乗り換えて中央線で直接東京駅に行くことにした。
今日は祝日なのに、なぜか母校の椎応大学は授業をやっているという。じゃあ、大学に行って学食でかつ丼でも食べようかと思ったが、おっさんなので浮いちゃうだろう。なんか市民講座とかやっている時に紛れて行ってみようか。
しかし、今回都内でびっくりしたこと。列車に乗っている人の9割以上がスマホをいじっている!恐ろしい依存率だ。こんなんで日本将来は大丈夫なのか?
けどモノレールの車内で椎応大生は参考書を読んでいる学生が多かったぞ。法令集が多かったので法学部の学生だな。椎応大は法学部だけが学内に別の大学があるかのようにオツムが良く真面目だ。
私の経済学部はチャラかった・・。
久しぶりに見た椎応大キャンパスは、耐震工事で姿が変わっていたな。反対側の名声大の校舎の方が立派・・。
本当にモノレールの駅は大学の横にあるのな。もう、多摩動物公園からあの坂を登ってトンネルを通ってくる必要はないのか。あの道まだあるのかな?
立川駅で乗り換え。ここからはまたモバイルsuicaが活躍します。途中新宿で降りようか迷ったけど、suicaだとどこで降りても融通が利くからよいよね。
東京駅でお土産げでも買おうかと思ったが、恐ろしい人混みで店がどこにあるのかわからないのでやめた。
一番直近の新幹線で帰ろう。
20分後に1本あった。みどりの窓口も券売機も新幹線チケットを求める人の列が・・。
しかーし、モバイルsuicaならスマホで新幹線チケットが買えちゃうのです!
柱の陰でピコピコ。一番近い新幹線指定席をゲット。席の場所も車内図から選べるんだよ!
速いし簡単。並ばなくていいし楽ちん。そう今回の旅では窓口に並ばないのが一番良かったよ。
モバイルsuicaなら新幹線チケットは割引になる。東京~高崎間で720円安いからそれを2回も乗れば年会費の千円のもとは取れるよ。
新幹線チケットをモバイルsuicaで購入すると運賃も含めてクレジットカードから引き落としになる。
結局チャージした金額からあまり引き落とされず、こんだけ残った。
立川~東京間の運賃は加算されたのかなあ?あれって東京切符なら含まれるんだけど。そこはまあいいか。
モバイルsuicaは便利だった。チャージ金も残ったし、また電車思い出旅行に行こう。
まだまだ思い出はたっぷりある(笑)。
しかし、暑かった。真夏の電車旅はもう無理~。
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